台所漢方の営業時間
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| 薬食同源について |
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神農(人物)とは?
漢方薬の祖といわれる神農は、今から三千年以上昔の伝説上の人物ですが、この人はさまざまな植物を自分の口に入れて賞味し、どの植物が飢えを満たすのにふさわしいか、どの植物を食べると体の調子がよくなるのかを確かめ、薬としての効能や、毒の有無などを調べていったそうです。つまり神農は、自らの体で人体実験を行ないながら、植物の食べ物としての適性と薬効を確認したわけです。どうも、現在から考えると、神農をトーテムとした薬草や農業にくわしい一族がいたようで、この一族の伝記が神農伝説となったようです。
『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)
後代に神農の名を借りて著された書物で、さまざまな人々の人体実験(自分の体の実体験)に基づいて書かれています。その書物では薬物を上(不老・延年・元気増進を目的とするもの)、中(病気の治療や補益に臨機応変に用いる)、下(薬性が強く、おもに病気治療に用い、長期には用いない)の三種類に分類しています。この上薬とは、不老長寿を目的とした石薬と、食べ物的要素が強い人参・甘草・大棗・黄耆・胡麻・枸杞子・ヨクイニン(ハトムギ)、山薬(ヤマノイモ)などで、薬膳などの料理にも盛んに用いられています。中国では最高の医学は未病医学(予防医学)とされています。秦・漢時代の『黄帝内経素問』に「聖人は已に病みたるを治さず、末だ病まざるを治す」とあります。
『金匱要略』(きんきようりゃく)
「上工は未病を治す」と述べられているとおり、名医とは病気を治療するだけではなく、病気を予防する医者だとされているわけです。また、周時代のさまざまな制度を記した『周礼』という書物では、医者を「食医」「疾医(内科医)」「瘍医(外科医)」「獣医」の四つの階級に分け、「食医」を最高の医者とランクづけしています。「食医」とは、もともと皇帝の食事を管理する医者のことで、皇帝の体調に合わせてきめこまかな食事指導をし、皇帝が病気にならずに長生きできるようにすることを義務づけられていました。ここにも、医は食であり、ふだんの食生活によって病気を予防しようという考え方が表れています。
『黄帝内経素問』(こうていないきょうそもん)
「毒薬(漢方薬・今の意味でいう毒薬ではない)」で邪を攻め、五穀を養とし、五果を助とし、五畜を益とし、五菜を充とす。気味の合いて、之を服せば、以て精を補い、気を益す」と述べられています。野菜類、穀物類、果実類、動物性食品をバランスよくとれば、精力を増し気力をつけることができるということです。すでにこの時代から、現代の栄養学にも通ずるような、食べ物のバランスの大切さが説かれていたのです。このような”医食同源”の考え方は後代のも連綿と受け継がれいきます。唐の時代になると、名医の誉れ高い孫思ばくは、『千金食治』を著し、次いで孟せんが食物療法の専門書として、『食療本草』を著しました。
『本草綱目』(ほんぞうこうもく)
十六世紀の明時代になると、李時珍という大学者が『本草綱目』全五十二巻を完成させました。自ら山野を訪ね歩き、田畑で植物・薬物を栽培し、万巻の書といわれるくらいの大量の書物を研究したすえ、でき上がった大著です。それには、なんと千八百種に及ぶ食べ物、薬物が記載されています。当時はもとより、現代でも使われている食べ物のほとんどが綱羅されていて、それぞれについて経験に基づいた性質、薬効、適応症、禁忌、使用量、作り方などがくわしく記されています。つまり、その本は”医食同源”という中国伝統の考え方をもとに、食べ物と薬について集大成した百科全書的書物なのです。
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